2011年 06月 10日
曖昧表現 |
昔、富士写真フィルムのコマーシャルに「美しい方はより美しく、そうでない方はそれなりに写ります」というのがあった。ポイントは「そうでない方」と「それなりに」だ。差し障りのない実にうまい表現を考えたものだ。
美人の反対はブスだが、これは差別用語に近い。だから「そうでない方」にした。撮り方で多少工夫はできるが、ブスはブスである。「それなりに」は、いろいろな解釈ができる。必ずしもブスなりの写り方しかできないということではない。「そこそこ」「まあまあ」など勝手に理解して納得すればよい。日本語には曖昧な表現が多い。相手の人格を傷つけないように配慮。言外で意味するところを悟らせるのが狙いだ。
菅直人首相が使った「一定のメド」は今や流行語となったが、これも実に便利な用語である。菅氏が考えたのか、側近が入れ知恵したのかは分からないが、どうにでも解釈できる。早速噛み付いたのが鳩山由紀夫前首相だが、「勝手読み」で「嘘つき」とか「ベテン師」と言っていたが、自分の過去を振り返れば笑止だ。
「一定のメド」の「一定」は、文字通り「一つに決めること」、あるいは「決まっていて変わらないこと」という意味だ。「メド」は、目標や目当てのことだ。二つ合わせると「確実な見通し(見込み)」ということになりそうだ。英語では「Certain Prospect( outlook)」という言葉が近いようだ。
新聞でも、「一定のメド」という表現はよくある。「一定の理解」「一定の前進」「一定の評価」なども、しばしばお目に掛かる。この場合の「一定」は、全てではないが「ある部分」、「ある程度」のことだ。「それなりに」に置き換えても同じだが、新聞用語に馴染まないため、使わないだけだ。
ワガハイの経験では、政治家や官僚、マスコミなどは、よほどの自信がない事柄でない限り断定した言い方はしない。国会答弁で、政治家が「検討する」と言えば、実現に具体性があると受け取れる。そうでない場合は「研究する」とか「勉強する」となる。官僚答弁も、前提条件を並べ、必ず「逃げ道」を作っておくのが普通だ。
マスコミの報道も、決まったのか決まっていないのかよく分からないケースがある。例えば、「方針を固めた」段階では見通しに過ぎない。より具体的になると「方針を決めた」と前進し、さらに「方針」が取れ、「決めた」となる。最終的には「正式に発表」で、やっと報道が正確であったことを裏付ける。
菅首相の「一定のメド」発言は、辞任の「方針を固めた」に過ぎない。大震災の復旧・復興に「それなりに」メドが付くことが条件で、もともと幅広い解釈が可能だ。政治の世界では、復旧・復興に「一定のメド」が付くことではなく、ポスト菅体制に「一定のメド」が付くことが大事なのだ。
美人の反対はブスだが、これは差別用語に近い。だから「そうでない方」にした。撮り方で多少工夫はできるが、ブスはブスである。「それなりに」は、いろいろな解釈ができる。必ずしもブスなりの写り方しかできないということではない。「そこそこ」「まあまあ」など勝手に理解して納得すればよい。日本語には曖昧な表現が多い。相手の人格を傷つけないように配慮。言外で意味するところを悟らせるのが狙いだ。
菅直人首相が使った「一定のメド」は今や流行語となったが、これも実に便利な用語である。菅氏が考えたのか、側近が入れ知恵したのかは分からないが、どうにでも解釈できる。早速噛み付いたのが鳩山由紀夫前首相だが、「勝手読み」で「嘘つき」とか「ベテン師」と言っていたが、自分の過去を振り返れば笑止だ。
「一定のメド」の「一定」は、文字通り「一つに決めること」、あるいは「決まっていて変わらないこと」という意味だ。「メド」は、目標や目当てのことだ。二つ合わせると「確実な見通し(見込み)」ということになりそうだ。英語では「Certain Prospect( outlook)」という言葉が近いようだ。
新聞でも、「一定のメド」という表現はよくある。「一定の理解」「一定の前進」「一定の評価」なども、しばしばお目に掛かる。この場合の「一定」は、全てではないが「ある部分」、「ある程度」のことだ。「それなりに」に置き換えても同じだが、新聞用語に馴染まないため、使わないだけだ。
ワガハイの経験では、政治家や官僚、マスコミなどは、よほどの自信がない事柄でない限り断定した言い方はしない。国会答弁で、政治家が「検討する」と言えば、実現に具体性があると受け取れる。そうでない場合は「研究する」とか「勉強する」となる。官僚答弁も、前提条件を並べ、必ず「逃げ道」を作っておくのが普通だ。
マスコミの報道も、決まったのか決まっていないのかよく分からないケースがある。例えば、「方針を固めた」段階では見通しに過ぎない。より具体的になると「方針を決めた」と前進し、さらに「方針」が取れ、「決めた」となる。最終的には「正式に発表」で、やっと報道が正確であったことを裏付ける。
菅首相の「一定のメド」発言は、辞任の「方針を固めた」に過ぎない。大震災の復旧・復興に「それなりに」メドが付くことが条件で、もともと幅広い解釈が可能だ。政治の世界では、復旧・復興に「一定のメド」が付くことではなく、ポスト菅体制に「一定のメド」が付くことが大事なのだ。
by everyoung
| 2011-06-10 19:20
| 言いたい放題
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