2012年 03月 25日
原発安全神話 |
最近よく耳にする言葉に、「原発の安全神話崩壊」というのがある。そもそも「安全神話」とは、どういう概念に基づくものなのかよく分からない。「神話」自体は、事実とは関係のないいい加減なもので、時の権力者の都合のよいように作られたものが多い。
原発推進派の学者や政府関係者、電力会社などが、無知なる大衆に原発の「絶対安全性」を吹き込んで来たが、福島原発の事故で、一気にその根拠が崩れ去ったということか。逆に言えば、原発はそれまで「神話」になるほど安全性が高かったことの証かも知れない。
これまでも何度か触れたが、日本の原発の歴史は半世紀にも及ぶ。この間、何度か原発事故が発生したものの、被曝による死者はゼロだ。あえて言えば、東海村の核燃料施設で中性子による被曝で2人が犠牲となった事例があるだけだ。これは、正確には原発事故によるものではない。
文明の利器で「絶対安全」なものは一つもない。航空機や鉄道、船舶、自動車などは、過去において数えきれないほどの犠牲者を出して来た。今でもそうだ。それに比べれば、原発は格段に安全度が高いことになる。航空機などは、イザという時に逃げ場がない。原発は、急激大規模な臨界爆発でもない限り、逃げることが可能で、命まで奪われるケースはほとんどない。
「安全神話」として、新幹線が登場することがある。かつて上越新幹線で脱線事故があった。新潟中越地震による影響を受けたもので、死傷者はなかった。開業以来初めての事故で、メディアは一斉に「安全神話の崩壊」と報じた。その後の新幹線事故でも死んだ人はいない。「安全」が定着していれば、いつの間にか「神話」となる。出来上がった「神話」に、いささかでも傷がつけば即「崩壊」ということになる。
ワガハイは日常的に、「危険」であるはずの文明の利器に接しているが、それを警告された経験はない。例えば、航空機に搭乗する際に「落ちるかも知れませんよ」とか、船に乗る時に「沈むかも」と忠告された記憶はない。言われなくても当然、認識しておかなければならないことだ。
先日、健康診断でハラワタの一部に異常が発見され、胃カメラを飲まされた。事前に、本人や家族が承認のサインをした。万が一、医療ミスが発生した場合の免責のためだ。胃カメラ程度でも「絶対安全」はありえないのだ。
「安全神話」は、原発に限らず文明の利器全てに、もともと存在しない話だ。「安全」を百%信じないとすれば、「崩壊」ということもない。勝手に「安全」と思い込み、何かあったら人の所為にしているだけだ。現実的には、「安全度」を上げて、どこで折り合うかが重要だ。「絶対安全」なるものはないことを前提に、物事を考える習慣を身につけることが肝要だ。
原発推進派の学者や政府関係者、電力会社などが、無知なる大衆に原発の「絶対安全性」を吹き込んで来たが、福島原発の事故で、一気にその根拠が崩れ去ったということか。逆に言えば、原発はそれまで「神話」になるほど安全性が高かったことの証かも知れない。
これまでも何度か触れたが、日本の原発の歴史は半世紀にも及ぶ。この間、何度か原発事故が発生したものの、被曝による死者はゼロだ。あえて言えば、東海村の核燃料施設で中性子による被曝で2人が犠牲となった事例があるだけだ。これは、正確には原発事故によるものではない。
文明の利器で「絶対安全」なものは一つもない。航空機や鉄道、船舶、自動車などは、過去において数えきれないほどの犠牲者を出して来た。今でもそうだ。それに比べれば、原発は格段に安全度が高いことになる。航空機などは、イザという時に逃げ場がない。原発は、急激大規模な臨界爆発でもない限り、逃げることが可能で、命まで奪われるケースはほとんどない。
「安全神話」として、新幹線が登場することがある。かつて上越新幹線で脱線事故があった。新潟中越地震による影響を受けたもので、死傷者はなかった。開業以来初めての事故で、メディアは一斉に「安全神話の崩壊」と報じた。その後の新幹線事故でも死んだ人はいない。「安全」が定着していれば、いつの間にか「神話」となる。出来上がった「神話」に、いささかでも傷がつけば即「崩壊」ということになる。
ワガハイは日常的に、「危険」であるはずの文明の利器に接しているが、それを警告された経験はない。例えば、航空機に搭乗する際に「落ちるかも知れませんよ」とか、船に乗る時に「沈むかも」と忠告された記憶はない。言われなくても当然、認識しておかなければならないことだ。
先日、健康診断でハラワタの一部に異常が発見され、胃カメラを飲まされた。事前に、本人や家族が承認のサインをした。万が一、医療ミスが発生した場合の免責のためだ。胃カメラ程度でも「絶対安全」はありえないのだ。
「安全神話」は、原発に限らず文明の利器全てに、もともと存在しない話だ。「安全」を百%信じないとすれば、「崩壊」ということもない。勝手に「安全」と思い込み、何かあったら人の所為にしているだけだ。現実的には、「安全度」を上げて、どこで折り合うかが重要だ。「絶対安全」なるものはないことを前提に、物事を考える習慣を身につけることが肝要だ。
by everyoung
| 2012-03-25 22:00
| 言いたい放題
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