2013年 07月 11日
工夫が必要 |
この暑いのに、参院選候補者や各党の党首らが応援演説に駆けずり回っている。よく熱中症にならないものだ。民放のテレビ番組をなにげに見ていたら「党首討論」なるものをやっていた。党首の数が多いことや、司会役の能力もあって実につまらない印象を受けた。
投票に当たり、党首の考えや各党の政策について質すことはいいことだ。党首を並べて順番に発言させたり、多少の質問をする程度では本質はわからない。バランスを取る必要もあり、とても限られた時間では、視聴者の期待に沿うような「討論」などできるわけがない。
「24時間テレビ」だとか、つまらない番組をやるぐらいなら、思い切って時間を割いて一人ずつ党首を呼び、徹底的に議論する場をつくった方がよほど面白い。党首だけでなく政調会長などブレーンも加え、政策の問題点をとことんまで追及するといったやり方だ。
質問する側には、当該政党の政策に疑問を持つ、学者や評論家、ジャーナリストなど論客を揃え、「党首いじめ」に徹することだ。やり取りを円滑化するために裁き役も必要だ。テーマ別に顔ぶれを代える方法も考えられる。
経済政策、エネルギー政策、社会保障、外交・安全保障、憲法問題など、各政党が抱える課題は山ほどある。ごった煮でやるよりは、分けて議論する方がよいだろう。反対する論客が攻めまくるのを聞くことにより、視聴者は当該政党の政策の妥当性を判断する材料を得ることができる。
選挙となると、候補者は耳障りの良いことばかり並べ立てて、自己の正当性だけを訴える傾向がある。有権者も、それを見抜く能力を身につけなければならない。単なるポピュリズムで政治が支配されてはならない。
ワガハイは、本来なら公共放送が「ディベート」番組を組むべきだと思うが、政見放送で手一杯のようだ。民放はスポンサー次第だろう。安っぽい番組に巨額のカネを出しているなら、国民がもっと賢くなるような番組を考えるべきだ。(06年2月「ディベート」参照)
政策は、どこを視点に見るかによって判断が異なって来る。絶対正しい政策というのはあり得ない。日本は民主主義国家であり、1億人いれば一億の価値観が存在する。それをどこまで認めるかだ。重点の置き方や優先順位、公約数の取り方などがかなり支配する世界だ。政策を深堀して行けば、自分の立ち位置がより明確になるはずだ。
投票に当たり、党首の考えや各党の政策について質すことはいいことだ。党首を並べて順番に発言させたり、多少の質問をする程度では本質はわからない。バランスを取る必要もあり、とても限られた時間では、視聴者の期待に沿うような「討論」などできるわけがない。
「24時間テレビ」だとか、つまらない番組をやるぐらいなら、思い切って時間を割いて一人ずつ党首を呼び、徹底的に議論する場をつくった方がよほど面白い。党首だけでなく政調会長などブレーンも加え、政策の問題点をとことんまで追及するといったやり方だ。
質問する側には、当該政党の政策に疑問を持つ、学者や評論家、ジャーナリストなど論客を揃え、「党首いじめ」に徹することだ。やり取りを円滑化するために裁き役も必要だ。テーマ別に顔ぶれを代える方法も考えられる。
経済政策、エネルギー政策、社会保障、外交・安全保障、憲法問題など、各政党が抱える課題は山ほどある。ごった煮でやるよりは、分けて議論する方がよいだろう。反対する論客が攻めまくるのを聞くことにより、視聴者は当該政党の政策の妥当性を判断する材料を得ることができる。
選挙となると、候補者は耳障りの良いことばかり並べ立てて、自己の正当性だけを訴える傾向がある。有権者も、それを見抜く能力を身につけなければならない。単なるポピュリズムで政治が支配されてはならない。
ワガハイは、本来なら公共放送が「ディベート」番組を組むべきだと思うが、政見放送で手一杯のようだ。民放はスポンサー次第だろう。安っぽい番組に巨額のカネを出しているなら、国民がもっと賢くなるような番組を考えるべきだ。(06年2月「ディベート」参照)
政策は、どこを視点に見るかによって判断が異なって来る。絶対正しい政策というのはあり得ない。日本は民主主義国家であり、1億人いれば一億の価値観が存在する。それをどこまで認めるかだ。重点の置き方や優先順位、公約数の取り方などがかなり支配する世界だ。政策を深堀して行けば、自分の立ち位置がより明確になるはずだ。
by everyoung
| 2013-07-11 22:43
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