2014年 05月 06日
「男」の美学 |
渡辺淳一氏が亡くなった。まだ80歳で、今の時代では「若死に」に相当する。惜しい人を失ったものだ。渡辺氏はもともと医者だが、小説家、エッセイストとして一世を風靡した。ワガハイも、渡辺氏の作品を数多く読ませてもらった。「男」として参考になることが多々ある内容だ。
直木賞を受賞するなど、モノ書きとして早くから頭角を現したが、渡辺氏を有名にしたのは「失楽園」だ。当時、この題名が流行語にまでなった。日本経済新聞の夕刊に掲載され、役人は記事よりは先に目を通したほどだ。役人と話をする場合、まずこの筋書きから話題が始まった。
「失楽園」は一種の不倫小説だ。男として憧れる部分もあるが、あのような生き方はとてもできない。小説の上ではどうにでも描けるが、そもそも女をメンテナンスするにはヒマとカネが掛かる。「愛」をとことん突き詰めるにしても、普通のサラリーマンでは、なかなか真似ができない芸当だ。最終場面も、「そこまでやるのかね」、といった印象だ。
エッセイも多く、「鈍感力」はベストセラーとなった。「鈍く逞しい方が、生き抜く力となる」として、敏感で過剰反応することを戒めた。小泉純一郎首相(当時)は、これを引用。「目先のことに鈍感になれ」と説き、話題となった。ごちゃごちゃ言わずに「ま、いいか」と軽く流すのが、世渡りのコツということか。
作品には、「男」についての分析が多い。そのためか読者には女性が多いようだ。「男というもの」、と題するエッセイなどはよく読まれている。女性は、「男」を研究したり、「男」の本音を見抜く力を養うための「手引書」に使っているのかもしれない。
ワガハイは、渡辺氏の小説やエッセイを評価するのはもちろんだが、生き方が実に参考になる。文章だけでなく、語り口も軽妙で面白い。「万年青年」で歳を感じさせない。服装もダンディで、酒や女を愛し、いつまでも若さを保っていた。
作品を「ポルノ紛い」と悪評する人もいるが、所詮世の中は男と女で成り立っている。双方の機微にどこまで触れるかだ。渡辺氏もエッセイなどで指摘しているが、どう研究や分析しても、異性の本質は基本的には分からない。それでいいのだ。互いにナゾの部分があるから、人生は面白いのだ。
直木賞を受賞するなど、モノ書きとして早くから頭角を現したが、渡辺氏を有名にしたのは「失楽園」だ。当時、この題名が流行語にまでなった。日本経済新聞の夕刊に掲載され、役人は記事よりは先に目を通したほどだ。役人と話をする場合、まずこの筋書きから話題が始まった。
「失楽園」は一種の不倫小説だ。男として憧れる部分もあるが、あのような生き方はとてもできない。小説の上ではどうにでも描けるが、そもそも女をメンテナンスするにはヒマとカネが掛かる。「愛」をとことん突き詰めるにしても、普通のサラリーマンでは、なかなか真似ができない芸当だ。最終場面も、「そこまでやるのかね」、といった印象だ。
エッセイも多く、「鈍感力」はベストセラーとなった。「鈍く逞しい方が、生き抜く力となる」として、敏感で過剰反応することを戒めた。小泉純一郎首相(当時)は、これを引用。「目先のことに鈍感になれ」と説き、話題となった。ごちゃごちゃ言わずに「ま、いいか」と軽く流すのが、世渡りのコツということか。
作品には、「男」についての分析が多い。そのためか読者には女性が多いようだ。「男というもの」、と題するエッセイなどはよく読まれている。女性は、「男」を研究したり、「男」の本音を見抜く力を養うための「手引書」に使っているのかもしれない。
ワガハイは、渡辺氏の小説やエッセイを評価するのはもちろんだが、生き方が実に参考になる。文章だけでなく、語り口も軽妙で面白い。「万年青年」で歳を感じさせない。服装もダンディで、酒や女を愛し、いつまでも若さを保っていた。
作品を「ポルノ紛い」と悪評する人もいるが、所詮世の中は男と女で成り立っている。双方の機微にどこまで触れるかだ。渡辺氏もエッセイなどで指摘しているが、どう研究や分析しても、異性の本質は基本的には分からない。それでいいのだ。互いにナゾの部分があるから、人生は面白いのだ。
by everyoung
| 2014-05-06 10:27
| 言いたい放題
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