2015年 01月 09日
当人は真面目 |
学生時代に、何件かの家庭教師をしたことがある。その内の一人は小学6年生で、頭は悪くなかったが、勉強は好きではなかった。この種の子どもは、家庭教師の対象となることが多い。勉強が終わった後に夕飯までよばれたので、自炊の貧乏学生にとっては有り難い存在であった。
問題は、この子どもの母親が熱心な創価学会会員で、夕飯の度に日蓮宗のすばらしさを滔々と述べ、ワガハイに入信を勧めた。神仏に格別関心がないので、母親の話はほとんど聞き流した。1年ほどして「見込みなし」と判断したか、クビになった。
日本には八百万の神仏が存在。盆には仏と付き合い、正月はおみくじでも引いて神頼みする。都合都合で神や仏を選択できる実に融通の利く社会だ。一般に宗教は排他的で、他の価値観を認めない。何を信じるかは個人の勝手で、他人に強要するものではない。
パリの週刊紙が、イスラム教徒に襲撃され12人もの死者を出した。主犯格が捕まっていないので、はっきりした背景は不明だが、同紙が風刺画でイスラム予言者のムハンマドを冒涜したための報復と見られている。
他人から見れば、たかが風刺画だ。常識的には「ジョーク」の範疇で、殺し合いまですることはないが、信者にとっては「神」を侮蔑する行為である。とんでもないことで、「死」に値することかも知れない。
フランスは、かつて多くの国を植民地として支配して来た。そのツケが回って、戦後、旧植民地からの移民を受け入れざるを得なかった。今では、約1割がイスラム教徒で占めている。政教分離の方針を貫いているが、根底には多くの異分子を抱えているのが実態だ。
人種や宗教が異なれば、民族紛争や宗派抗争は避けられない。日本の社会では考えられないような、両者には憎しみがある。何かの拍子でそれが顕在化して、テロなどに発展する危険性を常に孕んでいる。
この種の事件が起きる度に、差別や格差の問題が背景にあるとして取り上げられ、社会や政治が悪いと決めつける風潮がある。自らの置かれた立場は、全て他人の所為だという理論だ。
理想的には、同じ民族や同じ宗教集団がまとまって国を形成すればよい。歴史的経緯からそれは無理だ。現実的には、互いの価値感を認め合って共存していくしかない。それができなければ、永遠に殺し合いをやればよい。
(06年2月「風刺漫画」、同5月「ダビンチの絵」など参照)
by everyoung
| 2015-01-09 18:23
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