2015年 01月 17日
少しは前進 |
厚生労働省が、「残業代ゼロ」とする雇用改革案の骨子を提示した。働いた時間に関らず賃金を決める制度で、安倍晋三政権の成長戦略の目玉の一つだ。能力がなく、怠け者にとっては、いささか愉快ではない話だが、世界の常識からすれば遅きに失した感だ。
骨子によると、労働時間の規制を外し、残業や深夜労働、休日の割り増しをしない仕組みとし、年収1075万円以上が対象。職種も、高度な専門知識を有する研究・商品開発や、コンサルタント、外為ディーラーなどに限定している。
今でも、管理職や特殊な専門職などは「残業代ゼロ」で働いているケースがほとんどだが、年収の線引きを新たに設けたのが特徴だ。労働界では、さらなる年収の引き下げや、対象となる職種の範囲が広がることについての懸念はあるが、生産性の向上に一歩前進することは間違いない。
サラリーマンにとって、会社は居心地の良い場所だ。「遅れず」「休まず」「働かず」でも、よほどのことがない限りクビにはならない。周辺を観察すると、社内で一生懸命に働いている人間はごくわずかだ。生産性が低いのは当たり前だ。
生産工場や流通部門などでは、労働時間と作業量が概ね比例する。前者は、機械に追われて仕方なく働かざるを得ない。後者は、顧客次第で怠けているわけにはいかない。時間でもって賃金を決めるには、比較的合理性がある。問題は、それ以外の分野だ。
周りでは、一生懸命に努力しているように見えても、無駄なメールや資料をパソコンで打っていたり、「打ち合わせ」と称して喫茶店で昼寝している輩も多い。会議となれば、「関係者」として多数参加するが、ほとんどは役立たずで、「いるだけ」の会社員が目立つ。
研究・開発などに携わる社員などは、会社にいる時間だけでなく、帰宅後や休日であっても、頭脳を働かせていなければならない環境にある。四六時中「拘束」状態にあるとも言える。出退勤の時間で、労働の量や質を計るのはそもそも無理だ。
労働の機会は均等に与えられるべきで、努力した者が報われる社会が理想的とされている。いくら努力して汗を掻いていても成果がなければ、何の評価も得られない。成果に対してのみ報酬を決めれば、格差が生じるのは当然だ。
格差は、雇用関係だけで生じるものではない。是正するには、政策の組み合わせが必要だ。財政の再分配機能が政策によって正常に働けば、格差は縮小する。どの程度の格差まで許容できるかは、政治と社会がどう折り合うかで決まる。
(07年1月「WE論議」参照)
by everyoung
| 2015-01-17 12:36
| 言いたい放題
|
Comments(0)