2015年 06月 25日
運命共同体 |
侍の美学では、切腹による死は名誉であり、打ち首は恥だ。本来、死に方に良いも悪いもない。死んだらおしまいだ。メディアは、死人の数を数えるのが好きなようだが、ひとりで死のうが「道連れ」が何人いようが、死ぬ側にとっては同じことだ。
国会で審議中の安保法制について、目的が「戦争抑止」か「戦争参加」かで意見が分かれている。戦争は、大量殺人行為であるが、人類は昔からそれを繰り返している。同種で殺し合いをするようなほ乳動物は、一部の例外を除けば人間だけの特徴だ。とても「高等動物」とは言えない。
戦争は国際法上できないことになっているが、実態はそうではない。国連の仕組みや能力に問題があるからだ。日本と一部の国以外は、今でも「戦中」にあり、そこら中で、殺し合いをやっているのが実情だ。誰も好んで戦争をするわけではない。どうすれば阻止できるかだ。
先日は、沖縄戦が終結した「慰霊の日」であった。各種の行事があり、沖縄戦の悲劇をメディアもこぞって「お涙ちょうだい」の記事を掲載して競い合った。沖縄では、米軍と日本軍が地上戦を展開、本土攻撃のバファーとして「時間稼ぎ」に利用された側面は否定できない。
米軍と日本軍の地上戦での衝突は、沖縄が初めてではない。米軍は、ガダルカナルから北上、硫黄島、サイパンと戦いで勝利を収め、フィリピンでは激戦を展開。両軍は桁違いの戦力を投入。多くの現地人が巻き添えとなった。
地上戦は、敵との直接接触があり、悲惨さを身近に感じる傾向がある。沖縄に限らず、フィリピンでは戦後長い間、その後遺症が残り反日感情が強かった。地上戦で重要なのは兵站だ。インパール作戦の失敗を見るまでもなく、南洋諸島での日本軍の敗退は、被弾によるものよりは、兵站能力の不足による餓死と風土病が主な原因だったとされている。
第二次大戦による犠牲者はソ連が最大で、軍人、民間人合わせて2000万人以上に達した。次が中国で同約1000万人。敗戦国側では、ドイツがトップで同500万人以上。日本は同300万人弱だったと言われている。
沖縄戦では、日本側が19万人弱の戦死者を出した。軍人、民間人がほぼ同数であった。米軍も1万2000人強が命を落としている。激戦であったことは事実だが、沖縄だけが犠牲になったわけではない。
原爆投下では、広島で約14万人、長崎で7万4000人弱が犠牲になった。東京大空襲(45年3月10日)だけでも10万人以上の死者を出した。空襲としては史上最大規模で、多くの非戦闘員が巻き込まれ、民間施設も無差別に破壊された。
それだけではなく、東京では100回以上の空襲を受けている。同時に、200以上の地方都市も空襲で被災した。本土空襲による死者、行方不明者数は、合わせて30万〜100万人と推定されている。沖縄だけが犠牲になったのではない。
(05年5月「ひとりでも死は死だ」、06年9月「親子殺人」、07年3月「東京大空襲」など参照)
by everyoung
| 2015-06-25 11:03
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