2006年 03月 27日
終末医療 |
人は必ずいつかは死ぬ。死に方にはいろいろある。自然体で安らかに死ぬのが理想だが、なかなかそうはいかない。身内のケースでも、実際に直面すると判断に当惑するだろう。
富山県の射水市の病院で、医師が人工呼吸器を外したことが論議を呼んでいる。何も人口呼吸器だけではなく、さまざまな延命治療がある。薬だって同じだ。人口呼吸器を外したり、飲んでいる薬を止めることは、即、死を意味しない。薬物投与して積極的に「殺す」のとは違う。
がんなどの末期患者に対する「安楽死」は、日本では法的に認めていない。半面、延命策の中止については、法律やガイドラインは未整備のままだ。いくつかの司法判断があるが、あまり根拠がなく、議論の余地がある。
生存の可能性がいくらかでもあれば、身内としては延命を考えるのが当然だが、患者本人の意思とは異なることがある。ワガハイの母親は、がんの末期に「こんな苦しい思いをするなら、早く死にたい」と言っていた。最終的には意識不明となり、人工呼吸器を付けたが間もなく息を引き取った。人工呼吸器を付けた期間は短期間だったため、途中で外すかどうかといったことは考える余地もなかった。
患者が、苦痛で七転八倒して死んで行くのは看るに耐えないし、本人も大変だ。期間が長くなればなるほど負担も大きい。同じ死ぬなら、少なくとも痛みだけは取り除きたい。そのためにモルヒネなどの投与もやむを得ない。強烈な痛み止めは死期を早める。ワガハイが同様な状況に置かれた場合には、延命より苦痛を和らげる痛み止めを選択したい。
薬物投与などの「即、死」は別として、延命策を講じるかどうかは一義的には患者本人が判断すればよい。患者の意識がなければ身内が決めればよい。医者や法律学者が決めるべきものではない。医者は、患者や身内に対し、選択肢を示し判断がし易いように説明しなければならない。苦しみだけが伴い生きながらえても幸せとは限らないのだ。
富山県の射水市の病院で、医師が人工呼吸器を外したことが論議を呼んでいる。何も人口呼吸器だけではなく、さまざまな延命治療がある。薬だって同じだ。人口呼吸器を外したり、飲んでいる薬を止めることは、即、死を意味しない。薬物投与して積極的に「殺す」のとは違う。
がんなどの末期患者に対する「安楽死」は、日本では法的に認めていない。半面、延命策の中止については、法律やガイドラインは未整備のままだ。いくつかの司法判断があるが、あまり根拠がなく、議論の余地がある。
生存の可能性がいくらかでもあれば、身内としては延命を考えるのが当然だが、患者本人の意思とは異なることがある。ワガハイの母親は、がんの末期に「こんな苦しい思いをするなら、早く死にたい」と言っていた。最終的には意識不明となり、人工呼吸器を付けたが間もなく息を引き取った。人工呼吸器を付けた期間は短期間だったため、途中で外すかどうかといったことは考える余地もなかった。
患者が、苦痛で七転八倒して死んで行くのは看るに耐えないし、本人も大変だ。期間が長くなればなるほど負担も大きい。同じ死ぬなら、少なくとも痛みだけは取り除きたい。そのためにモルヒネなどの投与もやむを得ない。強烈な痛み止めは死期を早める。ワガハイが同様な状況に置かれた場合には、延命より苦痛を和らげる痛み止めを選択したい。
薬物投与などの「即、死」は別として、延命策を講じるかどうかは一義的には患者本人が判断すればよい。患者の意識がなければ身内が決めればよい。医者や法律学者が決めるべきものではない。医者は、患者や身内に対し、選択肢を示し判断がし易いように説明しなければならない。苦しみだけが伴い生きながらえても幸せとは限らないのだ。
by everyoung
| 2006-03-27 10:42
| 言いたい放題
|
Comments(1)
Commented
by
i94ma at 2006-04-29 11:08
「延命より苦痛の緩和」、まったく同感です。日々思うのは、鎮痛剤として使われる麻薬の薬価をもっと下げて欲しい、という事です。WHOでは「安楽死は存在しない。何故ならば、現代では、痛みのコントロールが可能だから。」等という見解を発表しているようですが、自分が将来この日本で、こんなにも高価な麻薬にありつけるかどうかが心配でなりません。どの薬にどんな価格をつけるのか、国はもっと考えて欲しいです。
さらに言うならば、現在、健康保険でカバーする必要のない薬にまで無駄な薬価がついているような気がしてなりません。
・・・突然お邪魔して、熱く語ってしまい、失礼しました。(_ _。)・・・
さらに言うならば、現在、健康保険でカバーする必要のない薬にまで無駄な薬価がついているような気がしてなりません。
・・・突然お邪魔して、熱く語ってしまい、失礼しました。(_ _。)・・・
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