2007年 02月 07日
また一つ |
ワガハイは2月生まれである。また一つ歳を取ってしまった。ある年令になると、誕生日はあまり意識しなくなる。何かの折、生年月日を書く時に「あ〜そういえば、もうこんな歳になってしまったか」と自覚する程度である。
自分より年長者は常に偉く見える。いつまで経っても基準が自分であるからだ。小学校時代の先生は「おじさん」や「おばさん」だったとの印象が強い。彼らは当時、相当若かったはずだ。とっくにその年令を追い越しているのに、今でも先生の存在感が重くのしかかっている。不思議な感じがする。
2月生まれは「早生まれ」である。同級生では若いグループに入るので、得したこともあるが、損したこともある。なぜかすぐ下の弟も誕生日は同じだ。弟のヨメも同じ。いとこにも誕生日が同じなのがいる。周辺にも、意外に同じ誕生日の者が多くいる。誕生日が同じだと親近感を感じる。
同じ2月生まれでも、うるう年に生まれた人は誕生日が4年に一回しか来ないことになる。どうしているのだろう。誕生花にはいくつかのバージョンがあるが、ちゃんと29日の分も用意されている。
子供の頃、田舎では正月が旧だった。新正月になったのはそう昔のことではない。旧正月時代でも年末年始は学校が冬休みであった。旧正月も何日か休みがあったので、2度正月を楽しむことができた。
旧正月と誕生日が近かったために、いつも誕生祝いは正月と一緒にされ、ごまかされてきた。誕生日に、親から特にプレゼントされたり祝われた想い出はない。因みに、配偶者の誕生日は「こどもの日」と同じだ。確認したことはないが、「こどもの日」と一緒にされていたのかもしれない。
今の子供は恵まれている。誕生日だけでなく、クリスマスや正月、節句など折に触れおこづかいが頂戴できる。親としても付き合いざるを得ない。みんながそうだからだ。「昔は・・」などと言えばバカにされるのがオチだ。
自分より年長者は常に偉く見える。いつまで経っても基準が自分であるからだ。小学校時代の先生は「おじさん」や「おばさん」だったとの印象が強い。彼らは当時、相当若かったはずだ。とっくにその年令を追い越しているのに、今でも先生の存在感が重くのしかかっている。不思議な感じがする。
2月生まれは「早生まれ」である。同級生では若いグループに入るので、得したこともあるが、損したこともある。なぜかすぐ下の弟も誕生日は同じだ。弟のヨメも同じ。いとこにも誕生日が同じなのがいる。周辺にも、意外に同じ誕生日の者が多くいる。誕生日が同じだと親近感を感じる。
同じ2月生まれでも、うるう年に生まれた人は誕生日が4年に一回しか来ないことになる。どうしているのだろう。誕生花にはいくつかのバージョンがあるが、ちゃんと29日の分も用意されている。
子供の頃、田舎では正月が旧だった。新正月になったのはそう昔のことではない。旧正月時代でも年末年始は学校が冬休みであった。旧正月も何日か休みがあったので、2度正月を楽しむことができた。
旧正月と誕生日が近かったために、いつも誕生祝いは正月と一緒にされ、ごまかされてきた。誕生日に、親から特にプレゼントされたり祝われた想い出はない。因みに、配偶者の誕生日は「こどもの日」と同じだ。確認したことはないが、「こどもの日」と一緒にされていたのかもしれない。
今の子供は恵まれている。誕生日だけでなく、クリスマスや正月、節句など折に触れおこづかいが頂戴できる。親としても付き合いざるを得ない。みんながそうだからだ。「昔は・・」などと言えばバカにされるのがオチだ。
by everyoung
| 2007-02-07 21:19
| 言いたい放題
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