2007年 05月 31日
年金記録 |
年金問題が、参院選での主な争点になってきた。懸案の社会保険庁改革に加えて、年金記録の曖昧な処理が浮上してきたためだ。1997年に基礎年金番号制度が導入され、管理の一元化が図られた。その後10年経っても、未だ5000万件の記録が未処理のままになっていることが判明した。
行政サービスのベースとなるものは、本人確認と名寄せである。住民基本台帳でもみられるように、個人情報が絡むため一筋縄にはいかない。通し番号で一本化すれば名寄せは簡単である。その前提が本人確認の作業である。通常は、住所、氏名、生年月日、性別などで照合するが、これとて十分なものではない。証明書の偽造などがまかり通る世界である。
未処理案件の中には、明らかに社会保険庁の管理ミスによるものが含まれている。論外の話であり、過去のデータを精査して明確にすべきである。これは政府の責任で実施しなければならない。ワガハイが指摘したいのは、加入者側の対応である。
今月の「不払い体質」の項目でも触れたが、一般に保険の受給は「申請」が基本である。黙っていて保険が給付されることはない。これの是非論はあるが、現在がそうであるなら、受給者が行動を起こすことが不可欠である。
日本の社会には、「役所のやることには間違いがない」という性善説がある。これは悪いことではないし、そうあって欲しい。現実にはそうではない。少なくともワガハイは、役人のやることには不信感を持っている。必ず自分で確かめることにしている。
社会保険庁を弁護するわけではないが、同庁は基礎年金番号を導入するに当たって、文書による告示を個別に郵送した。これは一度だけではない。忘れた頃にまた連絡がきた。本当に手続きが完了したのか、心配になって問い合わせをしたほどだ。その点において社会保険庁は、加入者に対する一定の告知義務は果たしたことになる。
役所仕事というのは、定型的な作業しかしない。それからはみ出た案件に対しては、積極的な対応はしない傾向がある。決まりきった手続きさえしておけば、責任は回避できるからだ。本人の所在や生死、偽名などまで徹底的に追究しないのである。あとは「受給したい者」が騒ぐべきだ、という考え方だ。「申請主義」を貫き通すなら、実態も随時公表しなければならない。10年も経って社会問題化してからでは遅いのだ。
行政サービスのベースとなるものは、本人確認と名寄せである。住民基本台帳でもみられるように、個人情報が絡むため一筋縄にはいかない。通し番号で一本化すれば名寄せは簡単である。その前提が本人確認の作業である。通常は、住所、氏名、生年月日、性別などで照合するが、これとて十分なものではない。証明書の偽造などがまかり通る世界である。
未処理案件の中には、明らかに社会保険庁の管理ミスによるものが含まれている。論外の話であり、過去のデータを精査して明確にすべきである。これは政府の責任で実施しなければならない。ワガハイが指摘したいのは、加入者側の対応である。
今月の「不払い体質」の項目でも触れたが、一般に保険の受給は「申請」が基本である。黙っていて保険が給付されることはない。これの是非論はあるが、現在がそうであるなら、受給者が行動を起こすことが不可欠である。
日本の社会には、「役所のやることには間違いがない」という性善説がある。これは悪いことではないし、そうあって欲しい。現実にはそうではない。少なくともワガハイは、役人のやることには不信感を持っている。必ず自分で確かめることにしている。
社会保険庁を弁護するわけではないが、同庁は基礎年金番号を導入するに当たって、文書による告示を個別に郵送した。これは一度だけではない。忘れた頃にまた連絡がきた。本当に手続きが完了したのか、心配になって問い合わせをしたほどだ。その点において社会保険庁は、加入者に対する一定の告知義務は果たしたことになる。
役所仕事というのは、定型的な作業しかしない。それからはみ出た案件に対しては、積極的な対応はしない傾向がある。決まりきった手続きさえしておけば、責任は回避できるからだ。本人の所在や生死、偽名などまで徹底的に追究しないのである。あとは「受給したい者」が騒ぐべきだ、という考え方だ。「申請主義」を貫き通すなら、実態も随時公表しなければならない。10年も経って社会問題化してからでは遅いのだ。
by everyoung
| 2007-05-31 11:06
| 言いたい放題
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