2007年 08月 23日
文武両道 |
ことしの高校野球甲子園大会は、佐賀北高校の劇的な優勝で幕を閉じた。普通の公立高校が、4000校を上回る大会参加校の頂点に立った。高校野球は必ずしも実力だけでなく、運や時の勢いが左右する。これがドラマを生む要因ともなっている。
佐賀北高校がどういう高校なのかよくわからないが、伝えられるところでは特に野球部が優遇されている学校ではない。全国に普通にある公立校の部活の延長として活動していただけだ。部員も氏素性のわかる地元の子供たちである。これが本来の姿である。
ワガハイの地元では、残念ながら母校は地方予選の準決勝で敗れて代表にはならなかったが、近くの別の公立高校が甲子園に出場した。田舎の高校は、都会に比べ甲子園への出場確率が高い。全体の数が少ないからだ。それを狙って私立の「野球学校」が進出する傾向がある。それが功を奏して、しばしば「野球学校」が甲子園への切符を手に入れる。幸い、地元選手で固めた公立高校もそれなりに頑張り、このところ公立の出場割合の方がやや有利の状況が続いている。都市部ではそうはいかない。
甲子園大会の問題点については、昨年の8月には「甲子園騒ぎ」、一昨年8月には「野球留学」として触れた。ことしは特待生のあり方で世論が沸騰したが、根本的な問題は依然解決されていない。
高校生活において、野球ばかりでなく各種のスポーツに熱中することはいいことだ。前提は「文武両道」でなければならない。高校生はエリートの養成所ではないかもしれないが、「文」だけ、あるいは「武」だけでは正常は教育とはいえないのだ。
一説によると、儒教の影響を強く受けた中国や朝鮮では、エリートは肉体労働をしなくてもよいという考え方がある。管理する人間と働く人間は別、という発想である。日本も多少の影響は受けているが、歴史的にみても「文武両道」を是としてきた。昔の「武」は剣術であった。権力者や指導層は「文」の知識だけでなく、剣術にも磨きをかけた。今では、「武」がスポーツの分野に広がっていると考えればよい。
典型的なのは英国だ。イートンやハーローなどのパブリックスクールや、オックスフォード、ケンブリッジなどの大学からは、エリートが多数輩出している。彼らは例外なく、学生時代にラグビーやクリケットに打ち込み体を鍛える。知識の向上とともに、健全な身体をつくり上げるのが目的である。頭脳がずば抜けているばかりでなく、取っ組み合いをしても相手を負かす実力がないとエリートとは言えないのである。
今回の甲子園大会の出場校を見ても、「文武両道」の精神を忘れ、相変わらず野球選手を学校の宣伝道具に使っているところが目立つ。マスコミにも責任があるが、文化省をはじめ社会全体が改めてあり方を見直した方がよい。
佐賀北高校がどういう高校なのかよくわからないが、伝えられるところでは特に野球部が優遇されている学校ではない。全国に普通にある公立校の部活の延長として活動していただけだ。部員も氏素性のわかる地元の子供たちである。これが本来の姿である。
ワガハイの地元では、残念ながら母校は地方予選の準決勝で敗れて代表にはならなかったが、近くの別の公立高校が甲子園に出場した。田舎の高校は、都会に比べ甲子園への出場確率が高い。全体の数が少ないからだ。それを狙って私立の「野球学校」が進出する傾向がある。それが功を奏して、しばしば「野球学校」が甲子園への切符を手に入れる。幸い、地元選手で固めた公立高校もそれなりに頑張り、このところ公立の出場割合の方がやや有利の状況が続いている。都市部ではそうはいかない。
甲子園大会の問題点については、昨年の8月には「甲子園騒ぎ」、一昨年8月には「野球留学」として触れた。ことしは特待生のあり方で世論が沸騰したが、根本的な問題は依然解決されていない。
高校生活において、野球ばかりでなく各種のスポーツに熱中することはいいことだ。前提は「文武両道」でなければならない。高校生はエリートの養成所ではないかもしれないが、「文」だけ、あるいは「武」だけでは正常は教育とはいえないのだ。
一説によると、儒教の影響を強く受けた中国や朝鮮では、エリートは肉体労働をしなくてもよいという考え方がある。管理する人間と働く人間は別、という発想である。日本も多少の影響は受けているが、歴史的にみても「文武両道」を是としてきた。昔の「武」は剣術であった。権力者や指導層は「文」の知識だけでなく、剣術にも磨きをかけた。今では、「武」がスポーツの分野に広がっていると考えればよい。
典型的なのは英国だ。イートンやハーローなどのパブリックスクールや、オックスフォード、ケンブリッジなどの大学からは、エリートが多数輩出している。彼らは例外なく、学生時代にラグビーやクリケットに打ち込み体を鍛える。知識の向上とともに、健全な身体をつくり上げるのが目的である。頭脳がずば抜けているばかりでなく、取っ組み合いをしても相手を負かす実力がないとエリートとは言えないのである。
今回の甲子園大会の出場校を見ても、「文武両道」の精神を忘れ、相変わらず野球選手を学校の宣伝道具に使っているところが目立つ。マスコミにも責任があるが、文化省をはじめ社会全体が改めてあり方を見直した方がよい。
by everyoung
| 2007-08-23 11:19
| 言いたい放題
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