2007年 11月 27日
記憶と記録 |
防衛省の調達疑惑が一向に収まらない。額賀福志郎財務相と守屋武昌前防衛省次官の宴席同席問題などが焦点となっている。国会終盤を迎え、与野党の駆け引きが続いているが、早く黒白をつけ国会論議を正常化してもらいたいものだ。
今回が珍しいことではないが、国会の委員会答弁や証人喚問で不都合になると「記憶にない」「記録にない」との発言が目立つ。一時的に「痴呆症」にかかるのである。政治家だけでなく民間人についても同様だ。何度聞かされたことか。
「記憶にない」というのは実に都合のよい言葉だ。「覚えていない」「忘れてしまった」ということだから、後で事実が判明してもいくらでも言い逃れが可能だ。「そう言えば、そういうことがあったかもしれない。想い出せなかった」で済むのだ。「記憶にない」との発言は、「ウソ」をついたことにはならない。
「記録にない」は、文字通り調べた結果、証明するメモや請求書など物的証拠が存在しないことだ。後で、証拠がどこかにあっても「手元になかったから分からない」と言っておけばよいのだ。「記録にない」ということは、自分が知る範囲になかったことで、これも「ウソ」ではない。
民主党は、額賀財務相と守屋前次官の発言の食い違いについて両人の証人喚問を求めている。この場で改めて確認しようというものだ。証人喚問で「ウソ」をつけば手が後ろに回る。ここでは「ウソ」はつけないだろうという判断だ。守屋氏はすでに応じて同席発言をしている。改めて両人を呼ぶのは、どちらかの「ウソ」を暴くのが目的だ。
額賀財務相は委員会発言で同席を否定している。「ウソ」がつけない証人喚問に呼ぶことは、委員会では「ウソ」をついたかもしれないことが前提となる。これはおかしい。委員会でも証人喚問でも、罰則があろうがなかろうが「ウソ」をつくべきではない。
これまでの額賀発言を見ていると、「記憶にない」「記録にない」とする一方、いくつかの裏付けを示し同席を繰り返し否定している。もしこれが「ウソ」なら、即クビである。そうでなければ民主党は、前回の「メール騒動」のような責任をとらねばならないだろう。事実は一つしかないのだ。
今回が珍しいことではないが、国会の委員会答弁や証人喚問で不都合になると「記憶にない」「記録にない」との発言が目立つ。一時的に「痴呆症」にかかるのである。政治家だけでなく民間人についても同様だ。何度聞かされたことか。
「記憶にない」というのは実に都合のよい言葉だ。「覚えていない」「忘れてしまった」ということだから、後で事実が判明してもいくらでも言い逃れが可能だ。「そう言えば、そういうことがあったかもしれない。想い出せなかった」で済むのだ。「記憶にない」との発言は、「ウソ」をついたことにはならない。
「記録にない」は、文字通り調べた結果、証明するメモや請求書など物的証拠が存在しないことだ。後で、証拠がどこかにあっても「手元になかったから分からない」と言っておけばよいのだ。「記録にない」ということは、自分が知る範囲になかったことで、これも「ウソ」ではない。
民主党は、額賀財務相と守屋前次官の発言の食い違いについて両人の証人喚問を求めている。この場で改めて確認しようというものだ。証人喚問で「ウソ」をつけば手が後ろに回る。ここでは「ウソ」はつけないだろうという判断だ。守屋氏はすでに応じて同席発言をしている。改めて両人を呼ぶのは、どちらかの「ウソ」を暴くのが目的だ。
額賀財務相は委員会発言で同席を否定している。「ウソ」がつけない証人喚問に呼ぶことは、委員会では「ウソ」をついたかもしれないことが前提となる。これはおかしい。委員会でも証人喚問でも、罰則があろうがなかろうが「ウソ」をつくべきではない。
これまでの額賀発言を見ていると、「記憶にない」「記録にない」とする一方、いくつかの裏付けを示し同席を繰り返し否定している。もしこれが「ウソ」なら、即クビである。そうでなければ民主党は、前回の「メール騒動」のような責任をとらねばならないだろう。事実は一つしかないのだ。
by everyoung
| 2007-11-27 11:35
| 言いたい放題
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