2008年 12月 23日
先生受難 |
文科省が、高校学習指導要領の改訂案を発表した。それによると、13年度の高校新入生から「英語授業は英語でする」ことを基本としている。習得する英単語の数も、中学からの積み上げを合わせて3000語に拡大する。まだ先のことだが、教える側の英語の教師はご苦労なことだ。
日本人が外国語として英語を学ぶ期間は長い。それに比べ会話力はちっとも上達しないのが実態だ。以前から「教育の仕方が間違っている」と言われているが、必ずしもそればかりではない。受験対策の側面もあるが、昔から日本人は「読み書き」を重視するという国民性が背景にある。
国際舞台で活躍する日本人は多い。その大部分はネーティブ並に英語を駆使できる人ばかりではない。語学力と専門知識の両方が備わっていれば申し分はないが、そうした人材は多くはない。語学力のある人が専門知識を学ぶのと、その逆とどちらが効果的か。日本人社会では、後者の方を選ぶのが圧倒的だ。
ノーベル賞の益川敏英氏は授賞式の冒頭で、「わたしは英語が話せません」と、英語で挨拶していたのはおかしかった。「日本語の論文を世界の人に読ませたい」とも語っていた。ワガハイの先輩に「英語」の達人がいた。彼は一度も外国に行ったことがない。英語を話したのも聞いたことがないが、立派な英文が書けた。この先輩の英文を英国人に見せたことがある。「パーフェクト」と言って驚いていた。
奈良時代から日本は多くの海外文化を取り入れて来た。その方法は「筆授」によるものが中心だ。書物から学ぶやり方だ。体験を通じて学ぶ「面授」は、歴史的にあまり馴染みがなかった。空海の「面授」に対し、最澄の「筆授」などが有名な話として残っている。その伝統が今でも続いている。
ワガハイは一時、「英語がうまくしゃべれるようになりたい」と思ったことがある。会話力を身に着けるために三つの「参考書」を利用した。一つは「チャーリーブラウン」などのマンガ。二つは子供用の絵本や童話。三つ目はエロ本だ。学校で学ばないような表現がいっぱい出てくる。これらが役にやったかどうかは怪しげなものである。
語学には読解力と作文力、会話力の3点セットが必要だ。前の二つはこれまで通り、力を入れた方がよい。後者は環境整備が不可欠となる。読解や作文中心に育ってきた英語の先生に、いきなり「全部英語」を要求するのは酷である。会話力の育成は、別の授業としてやった方がよいような気がする。(05年5月「おかしな表現」参考)
日本人が外国語として英語を学ぶ期間は長い。それに比べ会話力はちっとも上達しないのが実態だ。以前から「教育の仕方が間違っている」と言われているが、必ずしもそればかりではない。受験対策の側面もあるが、昔から日本人は「読み書き」を重視するという国民性が背景にある。
国際舞台で活躍する日本人は多い。その大部分はネーティブ並に英語を駆使できる人ばかりではない。語学力と専門知識の両方が備わっていれば申し分はないが、そうした人材は多くはない。語学力のある人が専門知識を学ぶのと、その逆とどちらが効果的か。日本人社会では、後者の方を選ぶのが圧倒的だ。
ノーベル賞の益川敏英氏は授賞式の冒頭で、「わたしは英語が話せません」と、英語で挨拶していたのはおかしかった。「日本語の論文を世界の人に読ませたい」とも語っていた。ワガハイの先輩に「英語」の達人がいた。彼は一度も外国に行ったことがない。英語を話したのも聞いたことがないが、立派な英文が書けた。この先輩の英文を英国人に見せたことがある。「パーフェクト」と言って驚いていた。
奈良時代から日本は多くの海外文化を取り入れて来た。その方法は「筆授」によるものが中心だ。書物から学ぶやり方だ。体験を通じて学ぶ「面授」は、歴史的にあまり馴染みがなかった。空海の「面授」に対し、最澄の「筆授」などが有名な話として残っている。その伝統が今でも続いている。
ワガハイは一時、「英語がうまくしゃべれるようになりたい」と思ったことがある。会話力を身に着けるために三つの「参考書」を利用した。一つは「チャーリーブラウン」などのマンガ。二つは子供用の絵本や童話。三つ目はエロ本だ。学校で学ばないような表現がいっぱい出てくる。これらが役にやったかどうかは怪しげなものである。
語学には読解力と作文力、会話力の3点セットが必要だ。前の二つはこれまで通り、力を入れた方がよい。後者は環境整備が不可欠となる。読解や作文中心に育ってきた英語の先生に、いきなり「全部英語」を要求するのは酷である。会話力の育成は、別の授業としてやった方がよいような気がする。(05年5月「おかしな表現」参考)
by everyoung
| 2008-12-23 12:14
| 言いたい放題
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