2011年 01月 05日
単なる慣習 |
年末から長男家族が来ていたため、初詣以外の外出はしなかった。ことしは元日に地元の神社に行ったが、天候も良かったので、相当な人出であった。海辺にあった小さな神社が、いつの間にか変身。笑いが止まらないほどの繁盛ぶりだ。埋立のお陰で一帯が住宅街となり、周辺住民の数が急増したためだ(06年1月「神社の明暗」参照)。
「苦しい時の神頼み」、でもなかろうが、小銭を投げて皆、一生懸命拝んでいる。ほとんどがコインで、札はあまり見掛けなかった。不景気の所為かもしれない。ワガハイも、しょうがないから手を合わせて「無病息災」「家内安全」「五穀豊穣」を祈願した。
この三点セットは毎年のことだ。特にご利益があるわけではない。何となく、習慣としてそうしているだけだ。「無病息災」は、病気もせずに、元気で1年を過ごすことをお願いするものだ。「一病息災」という言葉もあるようだ。
全く病気をしないで済めば、それに越したことはない。ワガハイは、熱を出して寝たような病気は、中学2年からしたことがない。サラリーマン時代も「病欠」ゼロだ。こういうのは、かえって抵抗力がない。適度に軽い病気をしている方が、長生きするという話もある。「一病息災」は、病気は一つぐらいで済めばよいということであろう。
「息災」の「息」は、「やめる」「やすむ」「防ぐ」などの意味がある。「無病息災」は、仏の力を借りて、病や禍を取り除いてもらうものだ、との説がある。語源はよく分からないが、神様の前で、仏に頼むのも変な感じだ。
「家内安全」は、事故や災害に遭わないで、幸せに過ごせることで、「無病息災」とあまり変わりはない。「五穀豊穣」の五穀については、日中や、それぞれの地域や時代で種類が異なる。今では、米、麦、粟、豆、黍(あるいは稗)のことを表している。
健康で、災害や災難にも遭わなければ、個人的にはこれ以上の幸せはない。それに豊作が加われば、国は栄えて景気も良くなり、全てメデタメデタだ。日本には神社仏閣が、それぞれ8万〜9万あると言われている。合わせると、コンビニの店舗数の数倍の規模になる。さすが八百万の国だ。四季折々、神や仏と適当に付き合えるいい国に住んでいることを改めて噛み締めるのだ。
「苦しい時の神頼み」、でもなかろうが、小銭を投げて皆、一生懸命拝んでいる。ほとんどがコインで、札はあまり見掛けなかった。不景気の所為かもしれない。ワガハイも、しょうがないから手を合わせて「無病息災」「家内安全」「五穀豊穣」を祈願した。
この三点セットは毎年のことだ。特にご利益があるわけではない。何となく、習慣としてそうしているだけだ。「無病息災」は、病気もせずに、元気で1年を過ごすことをお願いするものだ。「一病息災」という言葉もあるようだ。
全く病気をしないで済めば、それに越したことはない。ワガハイは、熱を出して寝たような病気は、中学2年からしたことがない。サラリーマン時代も「病欠」ゼロだ。こういうのは、かえって抵抗力がない。適度に軽い病気をしている方が、長生きするという話もある。「一病息災」は、病気は一つぐらいで済めばよいということであろう。
「息災」の「息」は、「やめる」「やすむ」「防ぐ」などの意味がある。「無病息災」は、仏の力を借りて、病や禍を取り除いてもらうものだ、との説がある。語源はよく分からないが、神様の前で、仏に頼むのも変な感じだ。
「家内安全」は、事故や災害に遭わないで、幸せに過ごせることで、「無病息災」とあまり変わりはない。「五穀豊穣」の五穀については、日中や、それぞれの地域や時代で種類が異なる。今では、米、麦、粟、豆、黍(あるいは稗)のことを表している。
健康で、災害や災難にも遭わなければ、個人的にはこれ以上の幸せはない。それに豊作が加われば、国は栄えて景気も良くなり、全てメデタメデタだ。日本には神社仏閣が、それぞれ8万〜9万あると言われている。合わせると、コンビニの店舗数の数倍の規模になる。さすが八百万の国だ。四季折々、神や仏と適当に付き合えるいい国に住んでいることを改めて噛み締めるのだ。
by everyoung
| 2011-01-05 19:29
| 言いたい放題
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