2012年 01月 02日
制作意図が曖昧 |
公共放送の役割を否定するわけではないが、余計な番組が多い。以前にも取り上げたことがあるが、基本的には娯楽やスポーツは限定すべきだと考えている。娯楽番組の中は、国民的人気の高いものや長い歴史のあるものもあるが、大部分は民放に任せるべきだ。
娯楽番組の年中行事の一つにNHK紅白歌合戦がある。ラジオしかない時代には、よく聞いた想い出がある。最近はほとんど見ないが、家人が居間のテレビでこの番組を出しているので、時々内容が耳に入る。演歌やカタカナのミュージックが入り交じり、「え、これが紅白」という印象を持つ。
歌合戦というからには、歌が中心のはずだが必ずしもそうではない。演奏だけで出演したアーティストもいる。その年の新曲か、過去の代表作を歌う習わしのようだが、歌手側には選択権がない。毎年飽きもせずに同じ歌を、衣装だけ変えて歌っている歌手もいる。中には、とっくに歌手としての賞味期限が切れ、昔のヒット曲しか歌えないテレビタレントのような者もいる。
気になるのは、その年に大した活躍がなくても「大御所」として顔を出す連中だ。活躍してなければヒット曲もない。古ぼけた曲を、くたびれた顔で毎年歌うだけだ。昨今テレビの解像度が上がり、厚化粧の具合やしわ多さも鮮明に写る。見ていても気の毒なくらいだ。
国民的支持があるとすれば、世代間でバランスを取る必要がある。ワガハイのような演歌や懐メロファンだけではない。カタカナポップスが登場するのは時代の流れだ。関係者は、視聴者の公約数をどう取り上げて行くかに頭を悩ましているであろう。
出演料は民放に比べ恐らく相当安いだろう。それでもこの番組に出たがる者が多い。業界のステータスシンボルで、ここに名が出ることにより、他で稼げるチャンスが広がるからだ。NHKは、どういう基準で出演者を選ぶのかは明らかにしていない。それをいいことに、声が掛からなくても、掛かったような顔をして「辞退」するケースもあるようだ。それにより知名度が上がるためだ。
ワガハイの青春時代には、石原裕次郎や小林旭が活躍していた。両人とも、映画に出演するばかりでなく主題歌も歌い、多くがヒットした。祐次郎は何度もNHKから紅白出場を要請されたが断った。「歌手ではない」というのがその理由だ。祐次郎に声が掛かったのは本当であろう。今、祐次郎ほどのプロ意識を持つ者が、この業界にどれほどいるだろうか。
娯楽番組の年中行事の一つにNHK紅白歌合戦がある。ラジオしかない時代には、よく聞いた想い出がある。最近はほとんど見ないが、家人が居間のテレビでこの番組を出しているので、時々内容が耳に入る。演歌やカタカナのミュージックが入り交じり、「え、これが紅白」という印象を持つ。
歌合戦というからには、歌が中心のはずだが必ずしもそうではない。演奏だけで出演したアーティストもいる。その年の新曲か、過去の代表作を歌う習わしのようだが、歌手側には選択権がない。毎年飽きもせずに同じ歌を、衣装だけ変えて歌っている歌手もいる。中には、とっくに歌手としての賞味期限が切れ、昔のヒット曲しか歌えないテレビタレントのような者もいる。
気になるのは、その年に大した活躍がなくても「大御所」として顔を出す連中だ。活躍してなければヒット曲もない。古ぼけた曲を、くたびれた顔で毎年歌うだけだ。昨今テレビの解像度が上がり、厚化粧の具合やしわ多さも鮮明に写る。見ていても気の毒なくらいだ。
国民的支持があるとすれば、世代間でバランスを取る必要がある。ワガハイのような演歌や懐メロファンだけではない。カタカナポップスが登場するのは時代の流れだ。関係者は、視聴者の公約数をどう取り上げて行くかに頭を悩ましているであろう。
出演料は民放に比べ恐らく相当安いだろう。それでもこの番組に出たがる者が多い。業界のステータスシンボルで、ここに名が出ることにより、他で稼げるチャンスが広がるからだ。NHKは、どういう基準で出演者を選ぶのかは明らかにしていない。それをいいことに、声が掛からなくても、掛かったような顔をして「辞退」するケースもあるようだ。それにより知名度が上がるためだ。
ワガハイの青春時代には、石原裕次郎や小林旭が活躍していた。両人とも、映画に出演するばかりでなく主題歌も歌い、多くがヒットした。祐次郎は何度もNHKから紅白出場を要請されたが断った。「歌手ではない」というのがその理由だ。祐次郎に声が掛かったのは本当であろう。今、祐次郎ほどのプロ意識を持つ者が、この業界にどれほどいるだろうか。
by everyoung
| 2012-01-02 16:52
| 言いたい放題
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