2013年 03月 19日
事前も事後も大変 |
闘病を続けていた国元にいるワガハイの二親等が先日、ついに力尽きた。一時は回復の兆しがあったが、容態が急変。そのまま帰らぬ人となった。連絡を受けてすっ飛んで帰ったが、意識はほとんどなく、1日足らずで、正に眠るように息を引き取った。
人間は、ほどほどに歳を取って「ピンコロ」となるのが理想的だ。ほとんどはそうはならない。平均寿命に近ければ、「仕方ないか」とあきらめもつくが、まだ十分に間がある歳であれば、何とか治せないものかと、本人はもとより周辺も努力する。病によっては、近代医学をもってしても、なかなか思い通りにはいかない。
動物は勝手にどこかで死ぬ。ペットでなければ誰にも世話にならない。人間は大変だ。死ぬまでの過程が長ければ、家族への負担は甚大だ。精神的にも経済的にも相当堪える。しかも死んで終わりではない。後の始末も厄介だ。
葬式のやり方は、所によって異なる。都会では一般的であっても、国元では方式が違い戸惑うことも多い。国元の実家は農家ではないが、集落のほとんどは昔から農業を営んでいる。僻地ではないが、山間部にある。何かあれば住民が集まり、先例に従い助け合う仕組みになっている。
昔は、外で葬式をするケースは希であった。自宅で弔うのが普通で、近くの住民が集まり葬送の儀式の後、そのまま棺を墓に運び土葬した。パターンはいつも同じで、段取りも始めから決まっていた。集落のボスに連絡すれば、遺族は何もしなくても済んだ。
今は、そうではない。通夜だけを自宅でするケースもあるが、告別式などは外の葬儀場を利用する場合が多い。面倒なのは、葬儀屋との段取りの打ち合わせだ。事前に準備するわけにもいかないから、初めての事だらけだ。特に喪主が決めなければならない事項が多い。看病疲れの上に、膨大な事務処理が乗っ掛かる。
墓地の掃除や、弔問客の受付など近所の住民が手伝ってくれるが、メシや酒の手配もしなければならない。フシ目フシ目で挨拶も必要だ。先例に倣って、落ち度のないように心掛けなければならない。後で何こそ言われるか分からないからだ。手伝ってくれるのは有り難いが、気配り、目配りも疲れる話だ。
故人は現役であったから、会社関係者も多数葬儀に参列して頂いた。弔問にどの程度の人が集まるのかまるで見当がつかない。友人、知人の人数把握も困難だ。「お返しの品」の用意についても、苦労した。
葬儀が終わっても、ヤレヤレとはいかない。役所や保険・医療関係などの手続きが待っている。親戚や関係者への挨拶もある。坊主との付き合いも続く。7日法要は、葬儀の後に続けて実施するが、49日がすぐに迫ってくる。納骨もしなければならない。夏には「初盆」を迎える。喪主は「悲しんでいるヒマがない」とぼやいていた。
多くの関係者が、故人を偲んでくれることに親族の心は暖まるが、彼岸にいる故人は知らぬことだ。最近、近親者のみで密葬した後に、訃報を公表するケースが目立つ。相当な著名人でも、そうする場合が増えている。大騒ぎして、立派な葬儀をすることは生き残った人間のためのもので、故人には関係ないことだ。葬儀のあり方を見直した方がよい。(08年4月「ピンコロ歓迎」、09年6月「臓器移植」、10年3月「人骨加工」など参照)
人間は、ほどほどに歳を取って「ピンコロ」となるのが理想的だ。ほとんどはそうはならない。平均寿命に近ければ、「仕方ないか」とあきらめもつくが、まだ十分に間がある歳であれば、何とか治せないものかと、本人はもとより周辺も努力する。病によっては、近代医学をもってしても、なかなか思い通りにはいかない。
動物は勝手にどこかで死ぬ。ペットでなければ誰にも世話にならない。人間は大変だ。死ぬまでの過程が長ければ、家族への負担は甚大だ。精神的にも経済的にも相当堪える。しかも死んで終わりではない。後の始末も厄介だ。
葬式のやり方は、所によって異なる。都会では一般的であっても、国元では方式が違い戸惑うことも多い。国元の実家は農家ではないが、集落のほとんどは昔から農業を営んでいる。僻地ではないが、山間部にある。何かあれば住民が集まり、先例に従い助け合う仕組みになっている。
昔は、外で葬式をするケースは希であった。自宅で弔うのが普通で、近くの住民が集まり葬送の儀式の後、そのまま棺を墓に運び土葬した。パターンはいつも同じで、段取りも始めから決まっていた。集落のボスに連絡すれば、遺族は何もしなくても済んだ。
今は、そうではない。通夜だけを自宅でするケースもあるが、告別式などは外の葬儀場を利用する場合が多い。面倒なのは、葬儀屋との段取りの打ち合わせだ。事前に準備するわけにもいかないから、初めての事だらけだ。特に喪主が決めなければならない事項が多い。看病疲れの上に、膨大な事務処理が乗っ掛かる。
墓地の掃除や、弔問客の受付など近所の住民が手伝ってくれるが、メシや酒の手配もしなければならない。フシ目フシ目で挨拶も必要だ。先例に倣って、落ち度のないように心掛けなければならない。後で何こそ言われるか分からないからだ。手伝ってくれるのは有り難いが、気配り、目配りも疲れる話だ。
故人は現役であったから、会社関係者も多数葬儀に参列して頂いた。弔問にどの程度の人が集まるのかまるで見当がつかない。友人、知人の人数把握も困難だ。「お返しの品」の用意についても、苦労した。
葬儀が終わっても、ヤレヤレとはいかない。役所や保険・医療関係などの手続きが待っている。親戚や関係者への挨拶もある。坊主との付き合いも続く。7日法要は、葬儀の後に続けて実施するが、49日がすぐに迫ってくる。納骨もしなければならない。夏には「初盆」を迎える。喪主は「悲しんでいるヒマがない」とぼやいていた。
多くの関係者が、故人を偲んでくれることに親族の心は暖まるが、彼岸にいる故人は知らぬことだ。最近、近親者のみで密葬した後に、訃報を公表するケースが目立つ。相当な著名人でも、そうする場合が増えている。大騒ぎして、立派な葬儀をすることは生き残った人間のためのもので、故人には関係ないことだ。葬儀のあり方を見直した方がよい。(08年4月「ピンコロ歓迎」、09年6月「臓器移植」、10年3月「人骨加工」など参照)
by everyoung
| 2013-03-19 10:01
| 言いたい放題
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