2013年 09月 10日
責任問えず |
東京電力の福島第一原発事故で、業務上過失致死傷罪に問われていた責任者に対し、検察当局は不起訴処分にすることを決めた。東電関係者や、原子力安全委員会、原子力安全・保安院トップには「嫌疑不十分」。菅直人首相(当時)ら政府要人には「嫌疑なし」とした。
福島原発は、東日本大震災の発生に伴う津波の影響で、冷却電源が不能になり、メルトダウンなどの事故を誘発したとされる。自然災害が起因となり、その後の対応や処理に仕方でも、もたつきがあった。事故は、天災と人災が複雑に絡みあって発生したと言える。
政府は、事故の直接責任は東電にあるとして、賠償などの事後処理を講じることにしたが、政府側の責任は何も明確にしていない。事故が、天災によるものだけでなく、人災の部分があったとすれば、誰も責任をとらないのは本来おかしな話だ。
自然災害については、地震に限らず事前の備えが十分であったかどうかが焦点となる。東日本大震災はマグニチュード9、0で、その後発生した津波の高さも想定外であった。検察当局によると、津波の高さが10メートルを越えるケースは1〜10万年に1回の確率だ。
滅多に起こらない自然災害だが、東日本大震災は、「異常で巨大な天災地変」ではなく、「普通の災害」であるというのが政府の認識だ。そうしておかなければ、損害賠償などに支障を来すからだ。(11年4月「免責の考慮」、同7月「責任の所在」など参照)
かねて津波に対する備えが不十分であると指摘されてはいたが、すぐに対応策を講じなければならない状況ではなかったし、それを怠った責任を事後に問うには無理がある。極めて確率の低い事象に対し、万全で臨むことは理想ではあるが、現実的ではない。
原発の安全基準や保安体制などは、人が事前に決めるものだ。原子力政策は、国が深く関与して策定。東電などはそれに従うことになっている。東電が今回の事故で、政策に反した行動をしたという事実はない。
問題は事後に発生した人災だ。東電をはじめ、政府関係者を含めて異常事態の際に、全て適切に行動できたかどうかには疑問が残る。徹底した調査もされていないし、事故原因の究明も中途半端だ。日本は、ボトムアップの合議制が支配する社会だ。残念ながら、特定の人に刑事責任を問うのには限界があるということだ。
福島原発は、東日本大震災の発生に伴う津波の影響で、冷却電源が不能になり、メルトダウンなどの事故を誘発したとされる。自然災害が起因となり、その後の対応や処理に仕方でも、もたつきがあった。事故は、天災と人災が複雑に絡みあって発生したと言える。
政府は、事故の直接責任は東電にあるとして、賠償などの事後処理を講じることにしたが、政府側の責任は何も明確にしていない。事故が、天災によるものだけでなく、人災の部分があったとすれば、誰も責任をとらないのは本来おかしな話だ。
自然災害については、地震に限らず事前の備えが十分であったかどうかが焦点となる。東日本大震災はマグニチュード9、0で、その後発生した津波の高さも想定外であった。検察当局によると、津波の高さが10メートルを越えるケースは1〜10万年に1回の確率だ。
滅多に起こらない自然災害だが、東日本大震災は、「異常で巨大な天災地変」ではなく、「普通の災害」であるというのが政府の認識だ。そうしておかなければ、損害賠償などに支障を来すからだ。(11年4月「免責の考慮」、同7月「責任の所在」など参照)
かねて津波に対する備えが不十分であると指摘されてはいたが、すぐに対応策を講じなければならない状況ではなかったし、それを怠った責任を事後に問うには無理がある。極めて確率の低い事象に対し、万全で臨むことは理想ではあるが、現実的ではない。
原発の安全基準や保安体制などは、人が事前に決めるものだ。原子力政策は、国が深く関与して策定。東電などはそれに従うことになっている。東電が今回の事故で、政策に反した行動をしたという事実はない。
問題は事後に発生した人災だ。東電をはじめ、政府関係者を含めて異常事態の際に、全て適切に行動できたかどうかには疑問が残る。徹底した調査もされていないし、事故原因の究明も中途半端だ。日本は、ボトムアップの合議制が支配する社会だ。残念ながら、特定の人に刑事責任を問うのには限界があるということだ。
by everyoung
| 2013-09-10 10:19
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