2015年 05月 03日
現実を直視 |
憲法記念日は、安全保障を考える良い機会だ。NHKも「日曜討論」で、雑魚政党まで呼んで来て、安保論議を交わしていた。公共放送に限らず、電波媒体は「不偏不党」「公正中立」でなければならない。少数意見もそれなりに大事だが、本質を捉えていない政党がほとんどだ。
安倍晋三政権が登場して、憲法改訂論議が喧しくなってきている。改憲派、護憲派いずれも、現在の国際情勢がどうなっているかを認識しておかなければならない。東西の冷戦構造は一応終わったが、日本の周辺では中国や北朝鮮の奇行が目立つ。価値観の異なる相手にどう向き合うかが課題だ。
憲法については、これまでも何度か問題点に触れてきたが、重要な点は、憲法と日米安全保障をワンセットで考えなければならないということだ。憲法9条の扱いが屢々話題になるが、そもそも「前文」自体が「性善説」の最たるもので、不思議な表現と言わざるを得ない。
「前文」では、「・・諸国民の公正と信義に信頼してわれらの安全と生命を保障しようと決意・・」となっている。世界はみんないい人ばかりで、自分が手を出さなければ相手も仕掛けることはない、ことが前提となっている。すばらしいことだ。世界各国が同じような憲法を持ち、遵守するならメデタメデタで済む。
現実はどうか。対立国同士では、隙あれば攻撃して、人の領土や主権を奪おうと虎視眈々と狙っている。そこら中で、戦闘や紛争が絶えないのは改めて言うまでもないことだ。世界の常識は「性善説」では成り立たないのが現状だ。
日本の憲法は、自らは手を出さないことを詠っている。それによって日本の武力攻撃には抑止力が効いている。では、他国が侵略や攻撃して来た場合はどうするか。外敵に対しては、日米安全保障条約が抑止力となっている。9条は、他国の抑止力には何の役にも立たない条文だ。
国際法や国連憲章は、自衛権を認めているが、自衛の範囲を逸脱した場合は、国連の判断に委ねられるのが原則だ。相手国を勝手に反撃したり、報復することはできない。本来は戦争はできないことになっている。自衛権は、「急迫不正」「他に手段がない」「必要最低限」での行使が可能で、敵の攻撃を「阻止・排除」することに限定されている。
実態は、そうなっていない。国連は、かつての「戦勝国」にだけ特権を許し、特定国が自らの都合で拒否権を発動したり、国連決議を無視して相手国を攻撃、殺戮を繰り返している。ワガハイは、日本の安保法制や憲法を見直すのも大事だが、根本には国連の無力が背景にあると認識している。国連改革も併せて訴えるべきだ。
by everyoung
| 2015-05-03 10:06
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