2017年 05月 19日
考え方の違い |
組織的犯罪処罰法改正案‘’共謀罪“”は、きょうの衆院での委員会、本会議の採決を経て参院に送付される見通しだ。民進党や共産党は反対姿勢だが、自民党など与党は、国会会期を延長してでも成立に持ち込みたい意向だ。
刑法の基本は犯罪行為があってはじめて処罰される。法案では、実行に至らなくても、犯罪の準備段階でも、条件次第では罰せられることになり、従来の考え方を一歩進めるものだ。野党だけでなく、市民団体や一部有識者などが反対するのは、条件の「線引き」が明確ではないためだ。
反対理由としては、「自由が束縛される」「冤罪を誘発する」「監視社会の到来」などが挙げられている。法律は規制を強化するのが目的で、新たな法案が成立すれば、程度の差はあれ、これまで以上に市民生活などに影響のあることは否定できない。
憲法改定論議でも指摘したことだが、日本人は一般的に「性善説」に基づいて社会を構成している。「世間の人はみんないい人ばかりで、犯罪などは起こらない」ことが前提となっている。それでよいなら改めて手足足かせなどする必要はない。
現実はどうか。世界に比べ日本の犯罪件数は少なく、テロもほとんどないが、蓋然性はそこら中にある。本当に「平和国家」なら、かつての赤軍派による犯罪やオウム真理教のような事件は起こらないはずだ。
赤軍でもオウムでも、構成要員ははじめから「犯罪者」ではない。いつの間にか感化されて犯罪集団の一員となっている。犯罪者でもテロリストでも、元は「一般人」である。自らがレッテルを貼っているのではなく、一般人を装って活動しているのが実態だ。犠牲者が出て、はじめて気付くようでは遅いのだ。
では、今後起こる可能性をどう防ぐかだ。反対派の多くは、こうした犯罪にどう対処するかについての具体的見解は示していない。目の前に出て来た規制の対し、問題点や課題などを羅列しているだけだ。
安全保障の考え方なくして憲法論議しても無駄のように、安全な社会を守るためにはどうするかを議論せずに法案の扱いに文句だけ言っても意味のないことだ。重要なのは、どこまで「性悪説」に踏み込むかだ。
ワガハイは、社会生活にいたずらに規制を掛けることには反対だが、一定の歯止めは必要だ。すでに今の刑法では対処できない段階に来ているのは事実で、法案自体にそれほどの違和感はない。
憲法もそうだが、法律も実態が変わればそれに合わせてどんどん変えていくべきだ。英国では慣習法が前提で成文憲法などはない。それで支障があるとは聞いていない。法律も同様で、不都合があればその都度改正すればよい。いったん成立したら、それを金科玉条のように考えるのは愚かなことだ。
by everyoung
| 2017-05-19 10:07
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