2017年 05月 22日
腕の屈伸運動 |
ボクシングの世界ミドル級タイトルマッチで、日本の村田諒太が1ー2の判定でフランスのエンダムに敗れた。旅先でテレビでの中継を全部見ていたが、試合後に主審がエンダムの手を挙げた瞬間、「えっ」という声が出た。
村田は1回、様子見の姿勢でほとんど手を出さなかった。この消極性が尾を引いたかも知れない。村田は、4回にはエンダムからダウンを奪い、その後も何度かエンダムをふらつかせるパンチを繰り出したが、ポイント差で負けてしまった。
翌日の新聞は、スポーツ紙はもちろん一般紙も含めて、この判定に対する疑問を呈していた。知らなかったが、審判には二通りのタイプがあるという。「手数」を重視する派と、「有効打」を重く見て判断する流れだ。今回の試合は、前者が上回ったということだ。
武術とは異なり、ボクシングはスポーツだ。一定のルールに則って試合する。決着が付かなければ、最後は審判による判定となる。生死を争うものではないから、試合中のポイントがモノを言う。
問題は、どの程度のパンチ力に対しポイントを付けるかだ。村田は、手数こそ少なかったが、当てたパンチには威力が感じられた。これに対しエンダムのパンチは、ほとんど村田に防御され、村田が苦しむような場面はなかった。
パンチが効こうが効かまいが、手を出す回数が相手を上回れば勝てることになる。不思議なルールと言わざるを得ない。エンダムは、単に「腕の屈伸運動」を繰り返していたに過ぎない。それでも勝てるなら、ボクシングそのものの本質を変えなければならない。
報道によると、世界ボクシング協会(WBA)のメンドサ会長は、この試合を自ら検証した結果を基に、村田の圧倒的点差での勝ちを認め、「再戦を求める」との考えを示した。所属組織の長自らが、判定に不服を申し立てたのは異例のことだ。
しかもメンドサ会長は、「村田自身や所属する帝拳プロダクション、日本のファンにお詫びする」とまで表明した。判定結果については、誰が見てもおかしな判断で、ビデオを再生して見れば、その証拠は歴然だ。
試合後、村田は呆然としたが、その後の態度は立派だった。「結果は審判が決めるもの」とし、エンダムに対しも「感謝」を表明したとか。村田の所属する帝拳では、再試合するかどうかは本人の判断だとのコメントを出したが、ワガハイはしない方が賢明だと考えている。
今回の試合では、審判間のポイント差が余りにも大きかったことが話題となったが、そもそも格闘技にポイント制を設けること自体賛成ではない。柔道が、本来の武道の特長を崩す原因にもなったが、次の五輪に採用される空手も同様な道を辿ることになりそうだ。
ボクシングは、もともとスポーツとして発展したもので、ポイント制の採用は自然の流れだろうが、審判の恣意によって左右される恐れがある。それを承知で観戦すればよい。倒し切れないなら、何回でも延長して決着を付ける方が、ファンにとっては見応えがある。
by everyoung
| 2017-05-22 10:05
| ハラ立ち日記
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