2017年 07月 19日
生涯現役医師 |
先日、渋滞に巻き込まれて車をノロノロ運転していたら、変な看板が目に入った。レストランの募集広告で、「16歳から100歳まで採用」とあった。元気なら、歳は関係なく働けるということだ。
聖路加病院の名誉院長を務めていた日野原重明医師が亡くなった。105歳の長命を全うした。日野原氏は現役の医師だが、「文化人」としても知名度が高く、マスコミなどに屢々登場。持論を展開していた。
日野原氏は、いくつかの「名言」を残している。例えば、「死とは生き方の最後の挑戦」「歳を取ること自体が未知の世界に一歩ずつ足を踏み入れて行くことだ。こんな楽しい冒険はない」「100歳はゴールでなく、関所だ」などなど。
かつて、「よど号ハイジャック事件」に遭遇。生還した時の感激を、生なましく語っていたことを聞いたことがある。サリン事件では、病院として率先して治療を受け入れ、社会的に高い評価を得た。
心臓病や脳卒中などの「成人病」を改めて「習慣病」と呼ぶようにしたのもこの人だ。「歳の所為だからしょうがない」と諦めるのではなく、生活習慣を変えれば、こうした病気が回避できることを世間に訴えた。
予防医学の観点から、民間病院に初めて「人間ドック」と取り入れた。今では、何とか「ドック」が当たり前になっているが、自覚症状がなくても定期的に部位の精密検査を受けることで、自らの健康状態が確認できる。一般の健康診断を進化させ、早め早めに手当しようとする発想だ。
「生き様」についての著書も多い。死生観は、人によってまちまちで、どう生きようと死のうと勝手だ。世の中に「100%」と言えるものはないが、生きているものは、いずれ死に至るのは確実に100%だ。これだけは避けられない。
与えられた人生をどう生きるかだ。本来、医師や弁護士は、弱者の味方だが、中にはカネ儲けだけに拘った「悪徳」もいる。日野原氏は、少年時代に医師を目指すことを決断。医師になってから生涯現役を続け、数多くの社会貢献を果たした。
ボケとはほど遠い存在で、背骨が曲がっている以外は矍鑠として活動を続けていた。半面、自らの健康状態をどう把握していたのかは不明だ。患っても自然体を好み、「延命治療」などは一切拒否していたようだ。
「紺屋の白袴」という言葉がある。客の染め物に忙しく、自分のには手が回らないという例えだ。医者だって人間だ。病気になっても当然だ。人様の病気を直すのに一生懸命で、自らの健康状態のチェックが疎かになり、気付いた時には手遅れだったという話もよく聞く。日野原氏は、少なくとも100歳を越えるまで生きたことは、望外の幸せであったではないか。(12年9月「老人だらけ」など参照)
by everyoung
| 2017-07-19 11:07
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