2007年 07月 17日
家屋倒壊 |
台風が通過したら今度は地震だ。自然災害は恐ろしい。「新潟県中越沖地震」では、犠牲者が9人に達し、多くの古い家屋が倒壊した。震度6強だったから、これが外国ならこの程度ではすまなかっただろう。
新聞やテレビで現地の様子を見ている限り、そこら中に被害が及んでいる印象を持つ。実際は部分的である。報道機関は、一番被害の大きい所を探し、これでもかと伝えるのが常だ。象徴的な部分を誇張して報道する方がインパクトがあるからだ。
阪神淡路大震災の直後、現地に行く機会があった。報道では、街中瓦礫の山のような伝え方だったが、倒壊してない建物が圧倒的で戸惑ったほどだ。再開発に反対して古い家に居残った人たちや、無理に建設したペンシルビルや違法建築物などが犠牲になった。
今回の地震は、現地を見ていないので何とも言えないが、被災したのは構造的に問題のある建物ではなかったかと推測する。街の俯瞰写真は報道されないので、被災の規模が明確ではない。なるべく被害を大きく見せる方が報道価値があるから、全体の様子はあえて報道しないのかもしれない。
「新潟県中越沖地震」では、柏崎市が一番影響を受けた。伝えられるところでは、全壊家屋が約300戸。半壊を含めると450戸ぐらいだった。同市の世帯数は約4万。オフィスビルや公共施設の倒壊などはあまりなかったので、市全体からすると被災規模はかなり限定的であった。
倒壊したのは、古い木造家屋が中心だ。築後100年も経ったものもある。屋根が瓦や土で重く、柱や壁の部分が少ない構造のものほど揺れに弱かった。これだけの規模の地震ならひとたまりもない。地震を甘く見ていた結果であろう。
地震は、どこでいつ発生するかわからない。神代の昔から繰り返し起こっている。常に備えが必要である。この程度の地震は予測しておかなければならない。備えが十分なら影響は少ない。建物のある地質や、断層の走り方によって影響の度合いは異なるが、大部分の建築物は同じ揺れでもびくともしなかったことを認識しておく必要がある。
家屋は個人の財産である。行政は備えの指導やアドバイスは可能だが、強制はできない。自分の財産は自分で守るべきだ。被災した人たちには気の毒だが、備えを怠り災害が起きてから大騒ぎするのは本末転倒である。風水害や山崩れなどとは違うのである。
新聞やテレビで現地の様子を見ている限り、そこら中に被害が及んでいる印象を持つ。実際は部分的である。報道機関は、一番被害の大きい所を探し、これでもかと伝えるのが常だ。象徴的な部分を誇張して報道する方がインパクトがあるからだ。
阪神淡路大震災の直後、現地に行く機会があった。報道では、街中瓦礫の山のような伝え方だったが、倒壊してない建物が圧倒的で戸惑ったほどだ。再開発に反対して古い家に居残った人たちや、無理に建設したペンシルビルや違法建築物などが犠牲になった。
今回の地震は、現地を見ていないので何とも言えないが、被災したのは構造的に問題のある建物ではなかったかと推測する。街の俯瞰写真は報道されないので、被災の規模が明確ではない。なるべく被害を大きく見せる方が報道価値があるから、全体の様子はあえて報道しないのかもしれない。
「新潟県中越沖地震」では、柏崎市が一番影響を受けた。伝えられるところでは、全壊家屋が約300戸。半壊を含めると450戸ぐらいだった。同市の世帯数は約4万。オフィスビルや公共施設の倒壊などはあまりなかったので、市全体からすると被災規模はかなり限定的であった。
倒壊したのは、古い木造家屋が中心だ。築後100年も経ったものもある。屋根が瓦や土で重く、柱や壁の部分が少ない構造のものほど揺れに弱かった。これだけの規模の地震ならひとたまりもない。地震を甘く見ていた結果であろう。
地震は、どこでいつ発生するかわからない。神代の昔から繰り返し起こっている。常に備えが必要である。この程度の地震は予測しておかなければならない。備えが十分なら影響は少ない。建物のある地質や、断層の走り方によって影響の度合いは異なるが、大部分の建築物は同じ揺れでもびくともしなかったことを認識しておく必要がある。
家屋は個人の財産である。行政は備えの指導やアドバイスは可能だが、強制はできない。自分の財産は自分で守るべきだ。被災した人たちには気の毒だが、備えを怠り災害が起きてから大騒ぎするのは本末転倒である。風水害や山崩れなどとは違うのである。
by everyoung
| 2007-07-17 22:15
| 言いたい放題
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