2007年 07月 21日
差別用語 |
麻生太郎外務大臣が富山県での講演で、米価比較の事例として取り上げた話の中で「アルツハイマーの人でも分かる」と発言、話題になった。大臣発言の趣旨は「誰でも分かる」つまり「バカでも分かる」と言いたかったようだ。まさか大臣が、公の席で「バカ」とは言えないので「アルツハイマー」を比喩に使ったのだろう。
日本の社会は、要人のちょっとした発言が「失言」となり、大騒ぎする国だ。うっかり「バカ」と言いかけたが、とっさにまずいと判断。学術用語に置き換えたのかもしれない。「サルでもできる」という言葉が流行ったことがあったが、サルに例えたなら問題にはならなかった。
「アルツハイマー」自体は差別用語ではない。「バカ」と同意語に使ったからけしからんということになった。「バカ」は日常的に軽い気持ちで使う言葉である。「バカ」の定義は幅広い。本当の「バカ」だけを表現するとは限らない。不快用語だが、必ずしも差別用語ではなさそうだ。
差別用語とか不快用語は、公的な表現方法としては原則的に使わないことになっている。職業や人種などのほか、身体や精神に関わるケースがそうだ。歴史的な記述など、表現や語句を変えることが不自然な場合は、その限りではない。諺や成句についても配慮した方がよいとされている。
「めくら」は、目の見えない人か盲人に。「つんぼ」は、耳の聞こえない人か、耳の不自由な人に、といった具合だ。「気違い」は、精神障害者となる。「知恵遅れ」は知的障害者であり、「やぶにらみ」は斜視だ。「ボケ老人」は「痴呆症」ではなく、認知症患者となる。
「片手落ち」とか「めくら判」は、別の表現に置き換えることになっている。差別用語や不快用語の追放については政府も指導している。選挙に勝ってダルマに目を入れる習慣も、いずれなくなるかもしれない。
いくら表現方法を変えても本質は同じだ。あくまで受け取る側の問題であろう。ワガハイは、頭髪にかなり異常が見えてきた。昔は頭であった部分が、徐々に顔の一部になりつつある。世間の人はこれを「ハゲ」という。あまり愉快ではないが、事実がそうだから甘受しなければならない。仮に「髪の毛の不自由な人」と呼んでくれても、嬉しい気持ちはしない。
日本の社会は、要人のちょっとした発言が「失言」となり、大騒ぎする国だ。うっかり「バカ」と言いかけたが、とっさにまずいと判断。学術用語に置き換えたのかもしれない。「サルでもできる」という言葉が流行ったことがあったが、サルに例えたなら問題にはならなかった。
「アルツハイマー」自体は差別用語ではない。「バカ」と同意語に使ったからけしからんということになった。「バカ」は日常的に軽い気持ちで使う言葉である。「バカ」の定義は幅広い。本当の「バカ」だけを表現するとは限らない。不快用語だが、必ずしも差別用語ではなさそうだ。
差別用語とか不快用語は、公的な表現方法としては原則的に使わないことになっている。職業や人種などのほか、身体や精神に関わるケースがそうだ。歴史的な記述など、表現や語句を変えることが不自然な場合は、その限りではない。諺や成句についても配慮した方がよいとされている。
「めくら」は、目の見えない人か盲人に。「つんぼ」は、耳の聞こえない人か、耳の不自由な人に、といった具合だ。「気違い」は、精神障害者となる。「知恵遅れ」は知的障害者であり、「やぶにらみ」は斜視だ。「ボケ老人」は「痴呆症」ではなく、認知症患者となる。
「片手落ち」とか「めくら判」は、別の表現に置き換えることになっている。差別用語や不快用語の追放については政府も指導している。選挙に勝ってダルマに目を入れる習慣も、いずれなくなるかもしれない。
いくら表現方法を変えても本質は同じだ。あくまで受け取る側の問題であろう。ワガハイは、頭髪にかなり異常が見えてきた。昔は頭であった部分が、徐々に顔の一部になりつつある。世間の人はこれを「ハゲ」という。あまり愉快ではないが、事実がそうだから甘受しなければならない。仮に「髪の毛の不自由な人」と呼んでくれても、嬉しい気持ちはしない。
by everyoung
| 2007-07-21 11:19
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